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  • 大路 誠 作品ギャラリー
  • 「秋光」 2012年 Makoto Oji



アンモナイト | 人物画 | 水彩画、デッサン | 風景画 | 静物画 | 生あるもの


アンモナイト


アンモナイトの化石は私にとってもはやライフワークとも言えるモチーフで、学生時代から10年以上に渡って描き続けてきました。きっかけは幼少の頃、子供の誰もがそうであるように、恐竜に興味を持ったことでした。
恐竜の化石の展覧会などを見て行く過程でアンモナイトの化石も目にし、その形状、重みに、造形的な関心を持ったわけです。ただ、アンモナイトを描き続けているうちに、表層的な形だけではなく、そのもの自体が経てきた、何億年もの年月に関心が移ってきました。そのものが存在した時間に比して、人間社会の矮小さ。どんなに社会が利便性を追求しようとも、そのものの重みの前では意味をなさないとさえ考えました。
長く描いていると、私自身から見たモチーフの捉え方も変わってきます。きっとこれからも描き続けるうえでの変化を、自分自身の変化の投影だと考え、対峙して行こうと考えています。



人物画


私にとって人物画は当初キャラクターを持った生き物というよりも、なるべく静物と同じ扱い、つまり物体として処理をして制作を進めていました。しかし、学生時代も含めて数枚の人物画を描いていくうちに、それは不可能であり、また意味をなさないのではと自問するようになりました。モデル自身に魅力を感じ、その時にストーリーが想起できる場合に限って人物画を描きましたが、その困難さから徐々に描くことが少なくなっていきました。ただここ数年、無機質なものを描いていた揺り戻しか、生命に対する関心が深まり、静物画のモチーフも生きているものが増えてきた気がします。それに伴って、人間の生命力、生の美しさにも惹かれるようになり、描きたいという気持ちも膨らんできたのです。最近の人物画は昔その困難さのあまり匙を投げた自分への反省であり、挑戦でもあります。




水彩画、デッサン


タブロー(油彩画)などの作品に比べて確かに画面から受け取る迫力や量感は少ないものの、その分軽やかな印象を受けるのが水彩画です。
タブローに比べて数は少ないですが、水彩の特性を生かせるようなモチーフを描きました。
水彩画はそんなに描き込めないので、花など生きたものを生きているうちに描ききるにも適しています。




風景画


風景画も静物画に比べれば描いた数は少ないですが、印象的な場面に出くわすたびに描いていました。初期は意図的に灯台を探し出しモチーフにしていました。海に面してまっすぐ立つ姿に感銘を受け、そこに困難に立ち向かう人の姿を重ねたりもしました。
最近では旅行の際取材したイギリスの風景などがあります。以前イタリアの風景を描いた時にも思いましたが、油彩画は洋画ともいわれる通りやはり西洋のものを描くのに合った技法だと実感しました。なぜなら、西洋の建物を描く時の油絵のフィット感は他では感じることができないものだったからです。歴史を経た建築物や自然を相手にした時に、自分の矮小さを実感しますが、逆に描きごたえも感じています。この力強さをどう画面に展開しようかと。今後はもっと積極的に自分からそういった風景に出合いに行きたいと思っています。



静物画


人物画や風景画を描く時に写真を用いることがあっても、静物画を描く時は、基本的にはモチーフを目の前に置き、部屋を閉め切り、ライティングをして描くようにしています。やはり本物と写真では元からの情報量が全く違いますし、写真だけでは臨場感を捉えるのに苦労します。表面的な物質部分だけではなく、空気感や匂い重さや時間とともに変化していく様子も、直接見ることで感じ取ることができます。
絵画制作とは、モチーフを自分自身というフィルターを通して画面上に具現化する作業だと考えています。最近は選択するモチーフが枯れたものや死のイメージのものから、生を感じるものへと変化していますが、根本の部分で直接見て画面に再現させるというスタイルは変えていませんし、これからもこだわり続けていきたいです。




生あるもの


今までの作品の流れを省みると死から生へとモチーフが移行していることを感じます。
以前は自分とは縁遠い存在であり、なおかつ絶対的だった「死」に甘美にも似た憧れのようなものを持っていました。
しかし私自身が年齢を重ねたり病に罹った経験からそれを昔よりは身近に感じるようになりました。
このことがむしろ真逆の「生」に興味を持ち始めたことがきっかけかもしれません。
「生きているもの」だからこそ持つ輝きのような力強さを表現していければと考えています。